戸田一郎先生

2007年おもしろ科学大実験招待講師
富山市出身。富山第一高等学校の教員を経て現在は、北陸電力エネルギー科学館・ワンダーラボのサイエンス・プロデューサーとして活躍。
先生が開発した放射線の軌跡を見る装置「戸田式霧箱」は世界でもトップレベルの装置。
また、実験名人として日本全国をとびまわり、子どもたちに科学の楽しさを伝えるための活動をしている。
戸田先生と後藤先生とは、親交も厚く、霧箱の研究では後藤先生といっしょにイギリスまで足を運ばれたそうです。
下記の記事は、後藤先生が発起人となった「青少年のための科学の祭典」がいかにして始まったかを知ることができる貴重な資料です。
ぜひ皆さんもご一読ください。

戸田一郎先生のサイエンスショーの様子は、「おもしろ科学大実験レポート」
「第5回おもしろ科学大実験」でご覧いただけます。

おもしろ科学大実験レポート 「第5回おもしろ科学大実験」

「青少年のための英国科学実験講座」 
     …知られざる「日本での開花」に燃えた男…

                              富山県・富山第一高等学校  戸田一郎

「第一回目が導火線になった」

今年も「英国科学実験講座ークリスマス・レクチャー」(第十二回)がやって来た。
このクリスマス・レクチャーが日本の理科教育に果たした役割は大きい。
しかしその中でも、最近日本の各地で盛んになった各種団体や企業の主催
或いは教師、一般ボランティアの人々が子供達のために行う実験イベントが
第一回目の講座に感動した一理科教師の情熱と緻密な計画によって現在に至ったことを知る人は少ない。

「後藤道夫先生のこと」

今から15年ほど前、「理科嫌い生徒の増加」に対してその原因は何か、が至る所で論じられていた。
後藤道夫先生(最近のベストセラー「子供にウケる科学手品77」の著者)を会長(当時)とする
「物理教育研究会」ではその原因と解決法を求めて、会員21名が「第一回・近代科学の源流を訪ねる欧州ツアー」の名で
イギリス・フランスの科学博物館や大学、研究所を訪問した。
後藤先生を隊長としたこのツアーに、当時は高校教諭であり現在サイエンス・ディレクターとしてテレビでも人気の米村傳治郎氏も、新婚間もない奥さんと共に参加された。
この旅行を通して私達は「理科教育は学校だけのものではなく、子供から大人まで、多くの国民が科学を楽しむ環境を作ること」の重要性を痛感した。
旅行から二年後の1990年10月4日・5日、第一回「青少年のための英国公開実験講座」が東京の科学技術館で開かれた。
初日は英国王立研究所所長のジョン・トーマス博士による「歴史に残る有名な実験」
二日目はチャールズ・テーラー博士による「音楽の科学」であった。
科学実験を「楽しませる」すばらしい演出に参加者は皆感動した。
二日目の終わり、薄暗い会場の片隅に後藤先生を中心にかつての旅行メンバーが集まった。
そのとき後藤先生がきっぱりと宣言された。
「今日のこの感動を160年間も伝え続けたことがイギリスの近代科学を育てたのだ。
私たちは今日を限りに、子供の理科離れの責任者探しはもう止めよう。
日本式のやり方で日本に新しい理科教育の伝統を作ろう。
“子供にも大人にも楽しい科学”が基本理念だ。みんな協力して欲しい。」

「第一回日本式科学実験講座」

翌1991年の夏休み、後藤先生は新宿の工学院大学を会場にして
「第一回中学生・高校生のための科学実験講座」を開かれた。
大会名からも「英国科学実験講座」から受けた感動が読みとれる。
この講座は全国から集まった多くの理科教師達がそれぞれ自分の得意とする実験コーナーを開いて
子供たちに実験を体験させる一方、第一線の科学者や技術者が講演する、というものであった。
これ以後、この形式が「日本式科学実験講座」の基本スタイルとなった。
この記念すべき第一回大会はたった1日の開催ではあったが、数千人の来場に会場は押すな、押すなの大盛況であった。
ところが翌1992年、工学院大学は改装工事のため使用できないことがきっかけで、
その後、主催を科学技術振興財団が引き受け、東京北の丸にある科学技術館を主会場として名前も
「青少年のための科学の祭典」となり、毎年夏休みに開かれる大会は今年で十回目を迎えるにいたった。

「科学をみんなのものに」

現在「青少年のための科学の祭典」は東京会場のみならず、全国各地で行われ
また企業や団体、ボランティアの手になる実験講座も数多く見られるようになった。
「学校の枠を飛び出した理科実験」は確実に新しい流れとして定着した。
主旨に賛同して日本科学協会が「青少年の科学体験まつり」の名の下に
全国各地で毎年大規模な科学実験イベントを開き、積極的に協力してくれた。
科学技術振興事業団の「サイエンス・レンジャー制度(科学実験講師の派遣制度)」や先日
東京都青海にオープンした科学未来館(館長・毛利 衛氏)もこの運動の流れの中にある。
「日本の理科教育の新しい伝統を作るという大事業は、教職の片手間にできるものではない」とおっしゃり
工学院大学での科学実験講座の翌年、後藤先生は定年まであと数年を残して工学院大学高校を退職された。
その後、この新しい運動の主旨を理解してもらうためあちこちへの講演や情熱を持った理科教師の発掘に全国を飛び回られ
現在も出身地の長野県飯田市を中心に「子供に科学の芽を育てよう」と燃えておられる。

「英国科学実験講座」を毎年日本に招待している読売新聞社も
それが現在の「日本式科学実験講座」のきっかけになり、大きな影響を与えたことを知ってはおられないだろう。
蒔かれた種子は見事に花開いたのである。
後藤先生を頂点とする多くの人の努力によって生まれたこの新しい流れがどうか将来にわたって受け継がれ
日本の科学・技術の発展に寄与してくれることを願って止まない。

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