有馬朗人先生は、おもしろ科学工房のサイエンスアドバイザーでした亡き後藤道夫先生と深い交友がありました。生前の後藤道夫先生から「おもしろ科学工房のおもしろ科学大実験にお願いしてみようかな」という話もありましたが、2010年に文化勲章を受賞されそんな機会もなくなりました。昨年12月6日90歳でお亡くなりになりました。ガリレオ工房とも深い関係があり瀧川洋二先生がガリレオ通信に寄稿されていますので紹介したいと思います。
(NPO法人ガリレオ工房通信2021.1 より転載)
有馬朗人先生 ご冥福をお祈りします
NPO法人ガリレオ工房理事長 滝川 洋二
NPO法人ガリレオ工房の名誉会員で、ガリレオ工房の活動を支えていただき、また国の科学教育を進めるいろいろな仕組みを作ってこられた有馬朗人先生が、2020年12月6日にお亡くなりになりました。
有馬先生とは、後藤道夫先生が以前から交友があり、有馬先生が東大総長を退かれた1993年の翌年1994年の夏に国立オリンピック記念青少年総合センタ-を会場に「夏休み中学生科学実験教室」―5日間の合宿による実験教室―を行うのを、ガリレオ工房メンバーの後藤道夫、米村傳治郎、高橋和光、滝川他が手伝いました。この教室は80人の募集に2千人以上の応募があり、有馬朗人 (著), 佐藤次郎 (著)『科学はやっぱりおもしろい―夏休み中学生科学実験教室』丸善1995で紹介されていますが、中学生の時代に5日間科学の先端に触れるイベントは、成長に大きく役立つものでした。右の写真は、僕らの要望に応えて、ガリレオに扮して講演されているところです。
「夏休み中学生実験教室」でガリレオに扮して講演される有馬先生 1994年
1995年4月NHK教育テレビで30分の番組「やってみようなんでも実験」が始まったのも有馬先生の声かけだと後藤先生から伺いました。最初の1年はガリレオ工房メンバーが、その後全国各地の科学の祭典の先生などが登場し、実験名人を輩出しました。2001年3月まで続いたこの番組で、米村傳治郎さんが活躍し、1996年に高校教員を辞しサイエンスプロデューサーとして独立したのもこの番組の果たした大きな役割です。
1996年~2004 年省エネルギーセンター主催、読売新聞社後援、NPO法人ガリレオ工房協力「エネルギーを考えるサイエンス・ライブショー」は年に2度、500人~1000人規模の劇場での実験を伴うショーを行い、主演は第2回の1997年2月から有馬朗人先生。有馬先生が文部大臣となられた1998年~1999年は、いかつい要人警護SPが舞台の両端に立ち、ちょっと不思議な雰囲気の会場でした。有馬先生は毎回科学者や、宇宙船の船長などに扮して、子どもたちに語りかけられていました。毎日1万歩歩いているとの話もその頃聞きました。
有馬先生が文部大臣になると、文部大臣室で実験教室を行う等、いろいろな場に僕やガリレオ工房のメンバーが呼ばれ、その後も青森、富山、沖縄など一緒に実験しながら全国を回りました。僕が1999年9月にイギリス留学時に、科学技術庁長官の推薦状を出していただき、行く先々の大学で、長官からの推薦状を持ってきた人はいないと評判に。イギリスを出国して戻るときの入国審査でトラブルがあったのですが、推薦状を出したらすぐに通してくれました。
僕が9月にイギリスに留学し、有馬先生から次々にメールをいただき、例えば12月に
タイトル「人気の無い分野の評価」滝川先生へ お返事ありがとうございます。又お願いで申し訳ありませんが「人気は無いが大切な分野の評価」例えばイギリスでは、中近東の文字やサンスクリット語などの研究を続ける為にどういう努力をしているのか、おわかりになりましたらお知らせ下さい。よろしくお願いします。 有馬朗人
有馬先生の再三の質問に、実はサンスクリット語の研究では困難な状態というリーズ大学学部長の説明を引き出しました。日本の大学は(実施は2004年から)国立大学の法人化の方向で動いていた時期で、かなり真剣に心配されていたのだと感じました。
有馬先生が文部大臣になられた後、文部省ではない場所でお会いしたとき、「文部省は誰が動かしているのかね」とぼそっと言われたことがあります。それ以上は言われなかったので、推測しかできませんが、文部官僚あるいは、大蔵省(今は財務省)のことを言われていたのだろうと思います。僕がお付き合いをさせていただいた最初の頃から少人数学級に関心をお持ちで、文部大臣になられて、少人数学級を含めて提案されたのに、残ったのはお金のかからない政策だけで、エリート教育を推進していると批判されていました。大蔵省と戦い切れなかった文部官僚の力不足かもしれません。その後もガリレオ工房メンバーには、「少人数学級がいいと言うが何人が適正人数なのかね」と聞かれるなど、その方向に動かしたいけれど、現状での難しさを感じておられるようでした。
財務省が科学と教育を大切にしたくなるように市民からもっと社会に発信することが必要なのだと感じます。
2002年には、科学の楽しさをすべての人に伝えたいというガリレオ工房の姿勢が評価され吉川英治文化賞を受賞しました。この受賞をきっかけに、ガリレオ工房はNPO法人として活動していくこととなりました。授賞式には有馬先生もかけつけてくれ、喜びを共にしました。
科学技術振興機構JSTの2005~2008年度採択研究課題「市民による科学技術リテラシー向上維持のための基礎研究」(受託機関 NPO法人ガリレオ工房、(財)科学技術振興財団JSF、NPO法人理科カリキュラムを考える会)では、研究に関わり報告書の巻頭に「科学が地球の未来を救う-科学技術リテラシーへの課題」を寄稿していただきました。
有馬先生には、科学技術予算の1%くらいは教育にお金を回さないと、と僕らが提案し、有馬先生もそういう方向に動かそうとされていました。(有馬朗人『回顧と点検―鼎談:有馬朗人のメモワール』2005年)
日本の科学と教育を前に進めようと、真摯に向き合ってこられた有馬先生のご意志を受け継いでいきたいと思います。