私の心を動かした科学の体験 その1

私は昭和2年の秋分の頃、飯田市江戸町に生まれた。
両親は薬の備前屋さんの前で菓子店を開き、毎日最中や羊羹などを製造していた。
当時小学校は、3年生まで浜井場小学校で、4年生から追手町小学校で学ぶことになっていた。
私が4年生の時、不況の為、店をたたみ父は知人を頼って、東芝川口工場に就職し足立区に住んだ。
5kmほど離れた文京区の聖学院中学校に入学した。
5kmの道をバスや電車を使わず毎日歩いて通った。
途中隅田川は手漕ぎの渡し船で渡った。

5年間、毎日10km歩いた結果、脚と心臓が丈夫になったと思っている。
中学校では理科部に入った。顧問は(故)佐藤正義先生だった。
先生は東大理学部を出られた優れた研究者で、大学に残るようにすすめられたのを振り切って
中学生に対する科学教育の大切さを、身をもって示され、中学校の理科の教師として
多くのユニークな実験を考え、生徒達に科学の素晴らしさを伝えていた。
それは、私の人生で最も素晴らしい黄金の日々であった。
戦争に突入したため、昭和15年のわずか1年間であったが
毎日の理科の授業と放課後の科学部での実験は、毎度目が覚めるような新鮮な科学の驚異を体験する場であった。
先生は理科室を暗室にして、ミラーで太陽の光を室内に入れる。
1本の明るい光線のとおる道には、長い白い紙が敷かれる。
紙の中央に置かれたプリズムをとおった光は鮮やかな赤から紫までの7色に分かれる。
まだ純粋な生徒達はその美しさに驚嘆する。私もこんなに美しい光がこの世の中にあるのかと驚いた。
ある時は暗室の中でX線の実験をした。
大きな丸いガラスのX線管球に、発生したX線が当たり、青白く光っている。
先生は財布をそのガラス球の上に載せる。
財布の中の数個のコインが浮き上がって見える。
なんと不思議な現象だろう。
中学1年生にはその原理は分かりようもないが、科学の不思議、神秘性を示す実験としては、最高のものであろう。
先生は生徒達の心を洞察し、科学への好奇心を呼びさますため、常に効果的な実験の方法を考えられていた。
私も科学を勉強しよう。
そしてこうした実験をして、生徒達に科学の不思議さ、面白さを伝える教師になろうと心に誓った。
こうした実験を体験した友人が殆ど理工系の大学に進み、研究者や教師になったのも
皆その時受けた感動の結果であろう。
私も大学を卒業してから、高校で物理を35年間教え、科学部の顧問として実験を指導し
定年後の10年間は4つの大学で講師をし
その間NHK科学実験グループ指導員として「みんなの科学」や「テレビ理科教室」などの実験を担当し
またヨーロッパ、アメリカ、中国などへ先生方の研修旅行を企画したり
「青少年のための科学の祭典」を組織して、北海道から沖縄まで全国をまわり、科学の楽しさを伝えてきた。
今はふるさと飯田市の「かざこし子供の森公園」の「おいで館」において
「おもしろ科学工房」54人のスタッフと共に、地域の子供たちと科学の実験を楽しんでいるが
私の今までの人生において、多くの感動した科学体験を持った。
これからしばらく、そうした体験について語ってみようと思う。
気楽に読んでいただければ幸いです。

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